グーグル(東京)第1期
私は2015年からスイスのチューリッヒにある Google Switzerland GmbH でソフトウェアエンジニアとして働いていますが、もともとは東京のグーグル株式会社の中途採用組です。入社は2008年で、職種は今と同じソフトウェアエンジニア。まだ合同会社ではなく株式会社でオフィスは渋谷のセルリアンタワーにあり、従業員も少なくてエンジニアはみんな顔見知りという時代でした。携帯電話は iPhone が前年に発売されたばかりで、Android は同年9月に初公開。まだ開発プラットフォームは圧倒的にデスクトップのWebでした。
ところで本社から離れた小規模オフィスでは、その会社の文化や仕事の進め方を実感しづらいという問題があります。
そこで当時は新卒・中途採用を問わず、日本オフィスで採用された社員を研修ということでマウンテンビュー本社に数カ月送り込んでいました。そこで、今後一緒に仕事をするチームと人脈を作るとともに、社内の雰囲気を体感して帰ってきます。
毎週金曜日に行われていた TGIF という全社ミーティングで CEO のエリック・シュミットや創業者たちがフランクに質問に答えていたり、社内で立ち話から技術的に深い議論が始まってプロジェクトが動き出すのを見るのは、実際に目の当たりにすると衝撃でした。
さらにこれを補強するものとして、リバース・アンバサダーというプログラムがありました。アンバサダーは通常「大使」と訳されますが、これは本国からやってきて現地に文化・情報を伝える役割を果たします。リバース・アンバサダーはその逆で、小規模なオフィスから Google の文化や仕事の進め方が定着している大規模オフィスにやってきて、一定期間チームの一員として仕事をし、文化や経験を持ち帰ることが期待されています。
Google(チューリッヒ)第1期
私は当時はチューリッヒのチームと密に仕事をしていたこともあり、東京オフィスのサイトリードと話をした折に「リバース・アンバサダーとしてチューリッヒオフィスに行ってみたい」と伝えたところ、それは良いと後押し。先方のチームのマネージャーも快諾してくれて、すぐに話がまとまり、チューリッヒ州政府から労働許可・滞在許可が発行されるのを待った上で2011年8月から1年間の海外赴任となりました。なお手続きの最中に妻の第一子妊娠が判明し「海外出産か。出産後はしばらく動くのが大変だろうから、その前に欧州をいろいろ旅行しておこう」と思った記憶があります。
8月からチューリッヒで生活を始め、産婦人科医を見つけて生活も落ち着いたら、実際に良く旅行にでかけました。帰国日程が決まっていると、それまでの間に予定を詰め込みがちです。
手がけていたプロジェクトが無事に一段落したところで、妻が出産。産休が明けてからは別のプロジェクトを始め、これもカタがついたところで海外赴任期間が終了して帰国となりました。
グーグル(東京)第2期
私が当初チューリッヒで行っていたプロジェクトは、当時は日本だけ特別なシステムを使っていたのを止めて、全世界共通のシステムに載せ替えるという仕事です。このプロジェクトが成功裏に終わったということは、2012年に日本に帰ると、以前に私がやっていた仕事は跡形も無くなっているということです。さて社内就職活動かと思っていたら、ちょうど古くなっていたAndroid版のグーグルマップを1から作り直すプロジェクトが立ち上がるということで、そのうち一部の機能を担当するエンジニアリング・チームの立ち上げを行うことになりました。何もないところから作るのは楽しかったですが、一方で安定した開発のための土台が無く、スケジュールも厳しかったため、辛い面もありました。最終的にはチームの頑張りもあって、時代に合ったデザインの良い製品が出せたと思います。
その後は開発体制も安定し、同じチームで引き続き新機能の追加などを行っていました。
さて、もともとはデスクトップ向けWebプラットフォームでの開発が主だったGoogleですが、この頃にはモバイル、具体的にはAndroidアプリケーションへの移行が誰の目にも明らかになります。そこで、各地でWebの開発チームが縮小され、Androidアプリケーション開発への移行が行われました。この一環として、東京で私のチームが担当していたプロジェクトはチューリッヒとシアトルに移管されることに決まりました。
会社からの選択肢
- 東京オフィスに残り、別のプロジェクトに移る
- 同プロジェクトに残り、チューリッヒもしくはシアトルに移る
Google(チューリッヒ)第2期
2015年の転籍後はチューリッヒでAndroid版グーグルマップの開発を行っていましたが、数年後に今度はプロジェクトがオーストラリアのシドニーに移管されることになりました。シドニーも出張で行った限りでは良い場所でしたが、さすがに数年単位で別の国に行くのは辛いので、今回はチューリッヒに残ることにしました。最初はマップのデータ解析関係のプロジェクトに移り、それから2018年にAndroid OS開発に移りました。こうして見ると、私は全く関係ないプロジェクトに飛び込むのではなく、それまでのプロジェクトと何らかのつながりがあるプロジェクトに移ってますね。
まとめ
Googleでは形式上、従業員は各現地法人に雇用される形となりますが、実際には「現地採用」「本国採用」といった区別はありません。ソフトウェアエンジニアは単にソフトウェアエンジニアで、プロジェクトや国をまたいでの移動も比較的簡単です。また社内公用語は英語で統一されており、社内文化や仕事の進め方も基本は同じため、出張や転籍で別のオフィスで仕事をすることになっても戸惑うことはないので楽です。
転職する場合、国・プロジェクト・職種が変わる可能性がありますが、3つ全て同時に変わるより1つずつ変える方が負担が少ないです。将来アメリカでソフトウェアエンジニアとして働きたいという場合でも、とりあえず東京オフィスで馴染んでから転籍するというのは現実的な選択肢だと思います。